成田珈琲についてAbout

成田珈琲のルーツ「過去・現在、そして未来へ」

1.創業と苦難、そして軌道に

当社は、初代社長である成田澤治が昭和2年(1927年)6月、「成田澤治商店」として創業しました。創業当初、そこにあったものは、澤治が神戸税関で初めて目にしたコーヒーとその香りにほだされ、「美味しさと香りを出来るだけ多くの人に広めたい」との想いがあった。
広めたいとは言え、全くの素人、当然ながら生豆を焙煎する機械すらなく、たった3名の従業員での販売は苦難を重ねた。認知度が低いコーヒーを広めるため、カフェーに無料で運ぶ日々、食堂へのアプローチ、地道な努力から創業来2年~3年後に経営は軌道に乗りはじめた。カフェーという形態の全盛もこの頃、軍隊や工場で賑わう姫路の街にコーヒーが浸透していった。

2.戦時下と輸入制限

軌道に乗ったのもつかの間、戦争が本格化するとコーヒー豆の輸入制限で生豆の入手が困難になり、喫茶店が軒並み閉鎖に。愛飲家にとっては厳しい現実となった。当時愛飲家は大豆や木の実、ユリの根などを調理した「代用コーヒー」を家庭で飲んでいたとされ、当社も大豆や木の実などの代用品を販売するなどで凌いだ時期もあった。

3.終戦と復興

戦後になり、終戦とともに中断していた操業を姫路市東雲町にて再び開始した。1945年の終わり、焼け野原になった姫路の街も復興に向かい歩み始めた矢先、「安くて旨いコーヒーを一般の人に飲んでもらいたい」との想いから、地元百貨店に出店したコーヒースタンド、一杯30円での販売は大盛況となり、近代的な姫路の街にも喫茶店が増加していった。

4.輸入自由化と全盛時代へ

1950年にコーヒー豆の輸入が再開されるもまだまだ品薄状態が続いていたが、1960年、コーヒー豆の輸入が全面自由化となり、良質のコーヒー豆が一般にまで普及することとなる。その後、酒類を扱わない「純喫茶」が一大ブームとなり、爆発的に喫茶店が増加。1980年代前半までブームは続き、文字通りコーヒー全盛時代となった。
成田珈琲も1973年に最新鋭の焙煎機を購入、フルオートメーション工場を完成させ時代の波に乗っていく。開業目白押しの喫茶店のサポートを行う当社には開業・運営ノウハウが蓄積され、営業マンはいつしか喫茶店コンサルティング機能を兼ね備えた存在になる。「商品は売らんで良い。自分を売ってこい」との2代目保社長の言葉通り、成田珈琲営業マンは姫路、神戸、大阪の街を駆け巡り、お客さまの信頼を勝ち得ていった。

5.現在、そして未来へ

シアトルカフェブームを経て現在に至るが、これまで蓄積されたコーヒーに関する品質へのこだわりとその知識、ブレンド技術、店舗運営ノウハウは数知れないものとなった。コーヒー業界とお客さまが多様化する中、「世界一おいしいコーヒーをお客さまに届けるため」に成田珈琲の努力は日夜続く。